北風の便りに乗せて、空から白い花びらが舞い落ちる。
聖人がこの世に光臨した祝いのこの日、
街を行き交う人々は皆足早に通り過ぎ、
誰一人として道端に気を注ぐものなどいない。
そんな冷たい路地裏に、幼い子供は塵のように捨てられていた。
もう既に身体は冷え切っていて、吐いた息で暖めようとしたところで
その感覚さえままならない。
指先が痺れてぴりぴりと不快な痛みを放つ。
もう何日食べ物を口にしていないのだろう。
それすら思い出せないほど頭がぼーっとしていた。
――きっとこのまま死んじゃうんだ――
それでもいいかと思った。
どんなにぬくもりを求めても満たされる事はなく、
醜い子と蔑まれ嫌われて、心は既に死んでいた。
だから実の親に置き去りにされても、それは当然の出来事に感じた。
幼い彼の瞳には、目の前から立ち去る母の姿が
まるでモノクロの活動写真のようにゆっくりと映し出されていた。
「うわっ!なんだコレ!犬っころの死骸かと思ったら子供じゃん。
おまけにまだ生きてやがる……」
「こんなトコで死なれちゃあ、いい迷惑なんだよ!
冬ってったって、死体の匂いは結構キツイんだからね!」
近所のバロックの住人なのか、キンキンと耳障りな罵声が聞こえる。
だからといって何処か別のところへ移動する気力も体力も、
もう小さい身体の何処にも残ってはいない。
「だったら食いモンでもあてがって、どっかに追い払えばいいだろ?
なぁ、坊主……?」
思わず自分に投げかけられた言葉に、幼子はすぐに反応すら出来ない。
それでも今まで投げかけられていた誹謗中傷の言葉とは違う、
どこか暖か味を帯びた声色を察して、ゆっくりとその声の主の方を見上げた。
「お前まだ生きてんだろ?こんなとこにいたら、もってあと小一時間ってとこかな……?
決していい待遇とは言えねぇけど、まぁ死ぬよりマシか……」
男は人差し指で頭の隅を掻きながら呟くと、その大きな手を幼子に向けて差し出した。
「俺と一緒に行くか? 少なくても死なずに済むぞ?」
大っきくて暖かそうな掌。
帽子の下から覗く柔らかな瞳。
そこだけ春の日差しが差し込んだような光を感じる。
恐る恐る小さな手を差し出すと、
その大きな手は子供を軽々と抱き上げた。
子供の汚れで自分の服が汚れるかもしれないというのに、
まるでそんなことはお構いなしといった素振りで、男は子供を懐に入れた。
――あったかい――
それは神に魅入られし子……アレンが、
生まれて初めて感じた人の温もりだった……
男の名はマナ。
幼子の名前はアレンといった。
アレンの左手は、薄汚れた布でぐるぐる巻きにされ、
その容貌は普通の子供とはどこか違っていた。
「お前、捨てられたのか……」
わかりきっている事実を目の前の男に確認される。
「良くある家庭の事情ってやつかなぁ?
まだこんなに小せぇのにな……
世の中クリスマスだなんだのって騒いじゃいるが、現実はこんなもんか。
けど、親に捨てられたぐらいで人生あきらめるなんてもったいねぇぞ?
人間なにがあっても生きててなんぼのモンだからな」
マナの部屋で暖かいミルクを口にし、ようやく生気を取り戻した彼は、
まだ難しい言葉の意味をよく理解する事が出来ないほど幼かった。
確かにアレンの髪は色素が薄く、どちらかというと灰色に近い。
瞳の色もそれに似ていて、愛くるしい子供とは間違っても言えなかった。
綺麗なブロンドや蒼碧の瞳が持て囃される国においては、
きわめて異質のものといって良いだろう。
そして何よりも人々の嫌悪を引き寄せるもの。
それは彼の左腕だった。
肩の付け根には、赤い不気味な左腕が寄生するかのように根を張り、
不気味な手の甲には黒く光る十字架の傷が頓挫していた。
「……ふうん……そっか……これが原因かぁ……」
何もかもを悟ったようにマナが大きな溜息を吐き出す。
こんな薄気味悪い腕を持った子供は今まで見たことがない。
もともとの奇形か、もしくは何かの病気なのか。
恐らくこの子の親はその薄気味悪さを嫌悪したのだろう。
このご時世、理解できない容姿をした者は全て悪魔の使いとされ毛嫌いされる。
その中身はよほど普通の人間より清らかで澄んだものだとしても、
誰もそれを見抜こうとしない。
「俺もお前と同じようなモンさ……物心ついた時は、もう親に捨てられてたなぁ。
俺の場合はその理由さえわかんねぇがな……
この腕がどうした?なにがあってもお前はお前だ。
強く生きろ……そして、お前がお前である証を自分でみつけろ!」
自分を励ましているであろう男の少し悲しそうな笑顔を、
アレンは小首をかしげて見入やった。
今まで誰にも感じたことのない雰囲気がこの男から紡ぎだされている事は
幼い子供にも何となくわかる。
「ああ……まぁ、こんな難しいことをガキに言ったところでわかんねぇだろうけどな。
わかるようになるまで俺が一緒にいてやるよ。
そのかわり色々としごいてやるからな。覚悟しとけよ?」
言葉とは裏腹に優しいその瞳。
初めて醜い手を目の当たりにしたというのに、
マナはそんなことを全く気にせずアレンの小さな身体を思い切り抱きしめた。
その暖かさが彼の全身に染み渡り、アレンも黙ってマナにしがみついた。
今まで我慢していたものが一気に溢れ出したかのように、
アレンはこの瞬間、思い切り声を上げて泣いていた。
◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇
大好きなマナ。
この世で唯一自分の存在を認め、受け入れてくれた存在。
アレンにとって、マナの存在は絶対的なものだった。
大道芸の一座を営んでいた彼は、アレンに色々な芸を仕込んだ。
芸の道は厳しく、生活も決して楽なものとは言い難かったが、
それでもアレンの心の中は満たされていた。
日銭を稼いで紡いでいく毎日も、マナさえ側にいてくれれば辛いものではない。
彼の大きく優しい手が己の頭を撫でてくれる瞬間が大好きだった。
世知辛い世の中にあって、強く生きろと教えられ、
自分もいつかはマナの役に立ちたい、支えになりたいと、
小さな胸の中には将来への微かな希望が芽吹いていた。
―――――そんな時―――――
マナの死は突然訪れた。
胸の真ん中に大きな穴がぱっくりと口をあけている。
そんな心の隙間を埋める術も知らず、
アレンは愛しい養父の墓標の前で何日も過ごしていた。
瞳はどこか空を切り、時折感じる息苦しさに、自分が息つくことすら忘れている事実に気づく。
肩に降り積もる雪の冷たささえ、心の中に吹きすさぶ風に比べたら生ぬるく感じる。
もとよりそんなアレンに慰めの言葉を呟く者さえいなかったが、
ある日目の前に現れた不恰好な大人に求めていた言葉を囁かれ、
彼は惑うことなくその誘いに乗ってしまったのだった。
その男の名は『千年伯爵』
神に敵対し、この世に破滅をもたらそうとする者。
アレンの宿命の敵となる者。
千年伯爵……通称『千年公』は、アクマと呼ばれる兵器をつくため、
その素となる器に死んだ人間の魂を呼び込む。
呼び込まれた魂は器に取り込まれ、自分の意思とは関係なく呼び出した人間を殺し、
殺した人間の皮を被り、『アクマ』となるのだ。
そして、何より肝心なことは、
魂を呼び出す者が、死んでしまった人間に心から会いたいと願う事。
アレンはこの時、千年公の格好の獲物に他ならなかった。
ただひとつ、この小さな少年が神に取り憑かれた使徒だったことを除けば……
アレンはマナに会いたいが故、その魂を呼び出した。
アクマの器に取り込まれたマナの魂は、
アクマにされた事を哀しみ、恨み、苦しみ、もがいた。
そして何よりも千年公の誘いに乗り、自分を呼び出してしまった少年を
哀れだと……嘆いた。
アクマに内蔵された魂に自由はない。
永遠に拘束され、伯爵のオモチャになるのだ。
破壊するしか救う手はない。
「アレン……お前を……愛しているぞ……」
―――――壊して……くれ―――――
神に授かった左手で、初めて壊したその兵器は、
アレン自らが愛して止まなかった、マナの魂だった……
「……マナ……」
アレンが彼を思い出し、その悲しみに胸を震わせる時、
決まって額のペンタクルがずきりと痛む。
マナの呪いとも言える意志を持った左目は、
あの日からアクマに取りこまれた哀れな魂を見抜くことが出来る。
それがどんなに醜くて辛い姿であったとしても、
あの日以来アレンはその姿から目を逸らす事はしなくなった。
むしろひたすら見続けることを選んだ。
そこに宿る哀れな魂を、アクマを破壊する事で開放する。
それが己の使命だと思った。
―――強く生きろ……そして、お前がお前である証を自分でみつけろ―――
マナの言葉を糧として、
今日もアレンはアクマを壊し続ける。
『黒の教団』のマントを翻しながら……
≪あとがき≫
いよいよD−グレシリーズの開始です♪
まだ神田が登場してませんが、これから出てきますv
まずは皆様がご存知のアレンの生い立ちから……と思いまして、
長々と描かせていただきました;
マナとアレンの結びつき……実は神田より奥が深いと思うのです。
そこいらへんを後々表現していけたらと思っています。
長くなりそうなシリーズですが、どうぞよろしくお付き合いくださいませvvm(_ _ ;)m
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